紅野敏郎
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兵庫県西宮市生まれ[1]。中学卒業後は家業の醸造業に従事するが、1943年招集されてスマトラ島に出征する[1]。敗戦後、1年あまりの捕虜生活を送る[1]。1947年大東文化学院国語国漢科に入学[1]、1949年早稲田大学第一文学部国文学科に編入学[1]。1952年、同大学卒業[3]。1953年から1960年まで京華学園教諭を務め[1]、1960年早稲田大学教育学部専任講師[1]。1962年同助教授[1]、1967年同教授[1]。1992年定年退職[1]、名誉教授。
日本近代文学館常務理事を務めた[2]。1983年(昭和58年)には山梨県嘱託の「文学館構想策定懇話会」委員の一人となり、1991年(平成3年)には三好行雄の後任として山梨県立文学館の2代館長となる[1][4]。山梨県立文学館では1993年(平成5年)刊行の『芥川龍之介資料集』の刊行にも携わり、1992年に開始された「やまなし文学賞」では実行委員長を務める。2005年3月には山梨県立文学館館長を退任し[4]、後任は近藤信行が務めた[4]。2006年、瑞宝中綬章受章[5]。