小田切進
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1924年、東京府荏原郡駒沢村(後の駒沢町、その後東京市世田谷区を経て現・東京都世田谷区)[要出典]生まれ[注釈 1]。世田谷区立深沢尋常小学校、東京府立第十中学校から第二早稲田高等学院を経て早稲田大学国文科で学んだ。改造社で『改造』の編集に従事し、プロレタリア文学に関する評論を発表。1955年より立教大学に勤務し、のち教授。1990年、退職。
高見順や伊藤整らと日本近代文学館の設立に努め、63年、同文学館専務理事、64年、この設立運動で高見とともに菊池寛賞を受賞。71年より同文学館理事長。神奈川近代文学館の設立にも尽力した。73年、編著『現代日本文芸総覧』で毎日出版文化賞。1993年、紀田順一郎・尾崎秀樹共同監修の『少年小説大系』全32巻(三一書房)が第16回巖谷小波文芸賞受賞。
業績・評価
- 書誌学者の谷沢永一より『紙つぶて』にて、日本近代文学館理事長としての在り方(独善的な運営)を批判され、「公共の施設を楯に取って売名を企てる蛆虫野郎」と罵倒されている。
- 詩人・弁護士の中村稔も小田切との関係を回顧して、「日本近代文学館の収益となっていた、ほるぷ出版の危機を救った礼として、自分は、日本近代文学館の『名前だけの理事』に就任させられた」 「神奈川近代文学館は、あまりにも豪華な施設であり、その広大な施設の維持費と、多くの職員の人件費を神奈川県が負担していることを考えると、背筋が寒くなった」「小田切進という人は、日本近代文学館の理事長、神奈川近代文学館の館長として文壇の大物のように自負し、そのようにふるまってきたが、研究者としての業績のまったくなかったことに驚く外ない」と批判的に書いている[2]。