細田義安
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小平市小川町出身。中央大学卒業後、東京都庁に入り、総務、主税の各局長を経て[3]、第28回衆議院議員総選挙に旧東京7区で自由民主党より立候補し当選した。東京都職員時代は都知事であった安井誠一郎と近かった[4]。自民党内では、佐藤派に属した。佐藤派の同期は、後に総理大臣になる竹下登と金丸事件で有名な金丸信のみである。第29回総選挙において再選された。
しかし、任期途中の1962年(昭和37年)9月28日、東京都立大久保病院で死去した[5]。59歳没。翌29日、特旨を以て位五級を追陞され、死没日付で正七位から従四位勲三等に叙され、瑞宝章を追贈された[6]。追悼演説は同年12月8日、衆議院本会議で中村高一により行われた[5]。
なお、東京都総務局長時代に、合併により発足した東京都西多摩郡日の出村(細田没後の1974年に町制施行し、現在は日の出町)の名付け親となっている[要出典]。
墓は小平市小川町内にある小川寺に存在する(一般に公開されていない)。碑銘は会派のトップであった佐藤栄作の筆による[7]。
死後、遺族が小平市育英基金条例に50万円を寄付した[8]。