並木芳雄
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東京府西多摩郡西多摩村[4](羽村町を経て現羽村市)で、並木俊蔵の息子として生まれる[4]。1931年(昭和6年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した[2][3][4]。
大阪商船に入社[2][4]。アメリカに留学し、ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行に入社し英語と事務管理を研究した[2][3][4]。同行マニラ支店に転じマニラ軍政部通訳を兼務した[2][3]。その後、比島留日学生寄宿舎監、駐日比島大使館に出向して終戦を迎え、銀行を退社した[2][3][4]。
戦後、郷里で農村文化の向上に尽力し、民間側の通訳も担った[4]。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に東京都第7区から民主党公認で立候補して当選し[5]、その後、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで連続して再選され[6]、衆議院議員に連続5期在任した[2]。この間、民主党労働部長、国民民主党国際局次長、改進党外交政策部長、日本民主党政調会外交部長、同総務などを務めた[2]。以後、第28回から第31回総選挙に連続4回立候補したがいずれも落選した[7]。
その後、国際学友会理事、東京報知機顧問、第一石油顧問などを務めた[2]。
1975年1月19日、死去。66歳没。同月21日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された[8]。