綿貫六助
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1880年(明治13年)、群馬県北勢多郡森下村[1](現・利根郡昭和村)の中層の農家に生まれた[2]。1896年(明治29年)、17歳の時に陸軍教導団に合格した。1903年(明治36年)11月、陸軍士官学校(15期)を卒業[3][4]した後、歩兵第29連隊に入隊した。1904年(明治37年)2月に陸軍歩兵少尉に任官[4][5]して日露戦争に参戦し、1906年(明治36年)に帰国し、勲五等双光旭日章を授与された。同年3月に福島県出身の女性と結婚し、4男1女をもうけた。
1912年(明治45年)5月、歩兵大尉に昇進し、歩兵第65連隊中隊長を務めていたが[5]、1914年(大正3年)に軍旗祭で不適切な行為を起こしたため除隊された[2]。その後は恩給のみで生活できなかったため、妻子を実家に帰した後、1915年(大正4年)に早稲田大学文学部英文学科に合格した。1918年(大正7年)に卒業し、東京府立第三中学校の英語教師となった後、1922年(大正11年)にプロの作家に転身した。生涯に100部以上の小説を書き下ろした。晩年には立正大学中等部の教員としても勤務した[1]。
晩年は生活が困窮し、交友関係があった児童文学者のおのちゅうこうや歌人の生方たつゑなどから経済的な援助を受けていた。1946年(昭和21年)12月19日死去、66歳没。
栄典
作家活動
脚注
参考文献
- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正3年7月1日調』陸軍省、1914年。
- 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。