崇神天皇の代に大和国の三輪山から勧請したと伝わる。
延暦15年(796年)に賀茂神社とともに官社に列した(『日本後紀』)。
元慶4年(880年)賀茂神社、甲波宿禰社、小祝社とともに正五位下勲十二等(『三代実録』)。
『上野国神名帳』では「従一位美和大明神」として見える。
天正年間に火災で旧記社宝を悉く焼失したという。
もとは円満寺が別当寺であったとされ、江戸時代には小島一族が両者を管轄した。
明治5年(1872年)11月、郷社に列せられる。
明治41年(1908年)に本町三丁目の八坂神社(もとは牛頭天王を祀る衆生院)を合祀した[5]。