1983年にプロ入りし[1]、同年の埼玉オープンでは白浜敏司・白浜育男・関水利晃・菊地勝司・船渡川育宏に次ぐと同時に川田時志春と並んでの6位タイ[2]に入った。
1984年の埼玉オープンでは初日に69で金谷多一郎・須貝昇と並んでの3位タイ[3]でスタートし、最終日には小川清二・金谷に次ぐと同時に新井規矩雄・川俣茂・須貝を抑えて3位[4]に入った。
1991年のPGAフィランソロピートーナメントタケダカップ[5]を最後にレギュラーツアーから引退。
ツアー引退後は、目黒区「東急ゴルフスクール碑文谷」のティーチングプロとなった[6]。