白浜敏司

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白浜 敏司(しらはま としじ、1964年3月1日 - )は、東京都出身のプロゴルファー

生誕 (1964-03-01) 1964年3月1日(62歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
概要 白浜 敏司Toshiji SHIRAHAMA, 基本情報 ...
白浜 敏司
Toshiji SHIRAHAMA
基本情報
生誕 (1964-03-01) 1964年3月1日(62歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
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長兄の白浜育男、次兄の白浜浩史もプロゴルファー[1]

来歴

1982年に当時最年少でプロに合格[2]

1983年埼玉オープンでは最終日に68をマークし、兄・育男に関水利晃菊地勝司船渡川育宏川田時志春美浦修を抑えて優勝[3] [4]

1984年アコムダブルスでは兄の育男とペアを組み、初日に10アンダー62で湯原信光&デビッド・イシイアメリカ)ペア、上原宏一&村井進ペアと並んでの首位タイでスタートした[5]

1991年のインペリアルトーナメントでは初日を室田淳東聡金子柱憲一岡義典と共に3位タイ[6]でスタートする。札幌とうきゅうオープンでは初日を羽川豊倉本昌弘陳志明中華民国)、グラハム・マーシュオーストラリア)、横山明仁・東・芹澤信雄中嶋常幸並木秀山本治人山本洋一出口栄太郎と並んでの8位タイ[7]でスタートし、2日目には羽川・東と共に入野太尾崎直道と並んでの9位タイ[8]に着けた。

ヨネックスオープン広島では2日目に69をマークし[9]バレント・フランクリンカナダ)と並んでの7位タイに着けた[10]

NST新潟オープンでは初日を吉村金八海老原清治額賀靖生と並んでの8位タイ[11]でスタートすると、2日目には69をマークして[9]森茂則野口裕樹夫鈴木弘一重信秀人と共に4位タイ[12]に浮上し、3日目には森と共に町野治丸山智弘・山本治・河村雅之と並んでの9位タイ[13]に着けた。

1992年のNST新潟オープンでは初日を中嶋・佐藤英之・東・鈴木亨と並んでの7位タイ[14]KBCオーガスタでも初日に川俣茂松澤淳二横島由一西川哲と共に4アンダー68の7位タイ[15]でスタートした。

2004年つるやオープン[16]を最後にレギュラーツアーから引退。

約30年に渡り、最大手ゴルフシャフトメーカーで開発スペシャルアドバイザーを務め、数々の名器シャフトを開発し、ゴルフ場、練習場、各メディア等でアマチュアからトーナメントプロまで幅広くレッスンを展開[2]

現在は「奥沢ゴルフレンジ」スタッフ[2]

主な優勝

  • 1983年 - 埼玉オープン

脚注

外部リンク

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