白浜敏司
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来歴
1983年の埼玉オープンでは最終日に68をマークし、兄・育男に関水利晃・菊地勝司・船渡川育宏・川田時志春・美浦修を抑えて優勝[3] [4]。
1984年のアコムダブルスでは兄の育男とペアを組み、初日に10アンダー62で湯原信光&デビッド・イシイ(アメリカ)ペア、上原宏一&村井進ペアと並んでの首位タイでスタートした[5]。
1991年のインペリアルトーナメントでは初日を室田淳・東聡・金子柱憲・一岡義典と共に3位タイ[6]でスタートする。札幌とうきゅうオープンでは初日を羽川豊・倉本昌弘・陳志明(中華民国)、グラハム・マーシュ(オーストラリア)、横山明仁・東・芹澤信雄・中嶋常幸・並木秀・山本治人・山本洋一・出口栄太郎と並んでの8位タイ[7]でスタートし、2日目には羽川・東と共に入野太・尾崎直道と並んでの9位タイ[8]に着けた。
ヨネックスオープン広島では2日目に69をマークし[9]、バレント・フランクリン(カナダ)と並んでの7位タイに着けた[10]。
NST新潟オープンでは初日を吉村金八・海老原清治・額賀靖生と並んでの8位タイ[11]でスタートすると、2日目には69をマークして[9]森茂則・野口裕樹夫・鈴木弘一・重信秀人と共に4位タイ[12]に浮上し、3日目には森と共に町野治・丸山智弘・山本治・河村雅之と並んでの9位タイ[13]に着けた。
1992年のNST新潟オープンでは初日を中嶋・佐藤英之・東・鈴木亨と並んでの7位タイ[14]、KBCオーガスタでも初日に川俣茂・松澤淳二・横島由一・西川哲と共に4アンダー68の7位タイ[15]でスタートした。
2004年のつるやオープン[16]を最後にレギュラーツアーから引退。
約30年に渡り、最大手ゴルフシャフトメーカーで開発スペシャルアドバイザーを務め、数々の名器シャフトを開発し、ゴルフ場、練習場、各メディア等でアマチュアからトーナメントプロまで幅広くレッスンを展開[2]。
現在は「奥沢ゴルフレンジ」スタッフ[2]。
主な優勝
- 1983年 - 埼玉オープン