川俣茂
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日本大学出身であったがゴルフ部には籍を置かず、卒業後はゴルフ練習場に勤務しながら、5年かけてプロテストに合格[1]。
1980年の表蔵王国際東北オープンでは初日を栗原孝と共に68をマークして2位タイ[3]でスタートし、45ホールで行われた最終日には関水利晃・高橋五月と並んでの9位タイ[4]に入った。
1983年の関東オープンでは初日を尾崎健夫・謝敏男(中華民国)と並んでの2位タイ[5]でスタートし、2日目には好コンディションに恵まれながらスコアは伸ばせなかったが、1アンダー70でまとめ、2アンダーで首位に立つ[6] [7]。3日目には80を叩いて高橋五月と並んでの12位タイに後退し[8]、最終日には青木基正・横島由一と並んでの13位タイ[9]に入った。
1986年の関東オープンでは鈴木弘一と並んでの7位タイ[10]、1987年の伊香保国際オープンでは金谷多一郎・中川泰一・草壁政治に次ぐ5位タイ[11]に入った。
1988年には第一不動産カップで2日目68・3日目69・最終日68と3日連続60台をマークし、佐野修一・江本光・羽川豊と並んでの5位タイに入った[12]。
インペリアルトーナメント[13]では初日を奥田靖己と並んでの3位タイ[14]でスタートし、最終日には1アンダーで長谷川勝治・尾崎直道・田中泰二郎と並んでのプレーオフにもつれ込んだが[15]、プレーオフでは最初の18番で尾崎直と共にボギーで脱落し、若い田中と並んでの2位タイに終わった[15]。
テーラーメイド瀬戸内海オープンで鈴木豊・入江勉・中村忠夫と並んでの9位タイ[16]、ミズノオープンで兄の明と共に芹澤信雄と並んでの5位タイ[17]に入り、関東プロでは初日に嵐のような雨の中で丸山智弘と共に4アンダーの首位タイでスタートした[18]。
1988年のCITICORP OPENでは初日に68をマークして白浜育男・上原宏一と並んでの首位タイ[19]でスタートし、最終日には69で上原・加瀬秀樹と並んでの2位タイ[20]に終わった。
1988年の埼玉オープンでは最終日に68をマークして前日首位の森憲二に並んだが、プレーオフで敗れて2位に終わる[21]。
1988年のかながわオープンでは最終日に69をマークし、米山剛・芹澤信雄と並んでの2位タイに入った[22]。
1989年にはアコムダブルスで明と兄弟ペアを組み、好天に恵まれた初日は65をマークして5位タイ[23]でスタートし、2日目には64とスコアを1つ伸ばし、一気に首位に浮上したロジャー・マッカイ&ウェイン・スミス(オーストラリア)ペアと1打差の2位[24]に着けた。3日目には10アンダー62で回り、通算25アンダー191で首位[25]に立ったが、最終日には27アンダーの8位タイに終わった[26]。
青木功・村上隆と共に日本ツアー男子の最少スコア(パー36)である28を記録[27]したほか、1990年にはハワイパールオープンで初日を中尾豊健らと4アンダー68の首位タイ[28]でスタートし、帰国後のツアー開幕前に最後の開催となったくずは国際[29]で曽根保夫と共に初日69、最終日66をマークして7位タイに入った[30]。
1990年のよこはまオープンでは2日目に67をマークし、最終日には3位に入った[31]。
1991年の関東オープンでは湯原信光・真板潔と並んでの3位タイ[32]、1992年のPGAフィランソロピートーナメントではトッド・ハミルトン(アメリカ)と並んでの3位タイ[33]に入る。
1993年のブリヂストン阿蘇オープンでは3日目に7番でホールインワンを記録するなど3位に着け[34]、首位と3打差3位でスタートした最終日は[35]、3番のパー3で10mのバーディーパットを決めて首位ににじり寄る[1]。4番でボギーを叩くが、5番ですぐにバーディーを取り返す[1]。前半は同組の高橋勝成・西川哲と同様に強風に苦しみ、寄りが悪かったが、沈着を装いながらも自らを叱咤して辛抱した[1]。後半の12番で高橋勝・西川に並ぶと[35]、パー5の14番では3番アイアンでのセカンドショットがピンそば2mに止まる[1]。狙った方向とは違ったもののイーグルパットが決まって[1]高橋勝・西川を突き放すと[35]、逆転でプロ16年目での初優勝を決める[35]。43歳での初優勝は井上久雄の45歳、鈴村照男の44歳に次ぐ年長記録となった[1]。
1998年の全日空オープン[36]を最後にレギュラーツアーから引退。
シニア入りした2000年には全日空・石垣島シニアプロアマの団体戦で優勝し、個人戦では上原宏一・松井利樹と並んでの7位タイ[37]に入った。
2000年の北海道シニアオープンでは渡辺由己と並んでの3位タイ[38]、2001年のオールドマンパーシニアでは新井規矩雄・小林富士夫と並んでの2位タイ[39]、2003年にはキョーエイ産業 鷹の巣シニア2位[40]・オールドマンパーシニア4位[41]・ファンケルクラシック9位タイ[42]に入る。
2004年はオールドマンパーシニアで佐野と並んでの6位タイ[43]に入り、2005年の日本プロシニア[44]を最後にシニアツアーから引退。