義経山

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標高 294 m
位置 北緯43度7分22秒 東経143度38分1秒 / 北緯43.12278度 東経143.63361度 / 43.12278; 143.63361座標: 北緯43度7分22秒 東経143度38分1秒 / 北緯43.12278度 東経143.63361度 / 43.12278; 143.63361
義経山
標高 294 m
所在地 日本の旗 日本 北海道
中川郡本別町
位置 北緯43度7分22秒 東経143度38分1秒 / 北緯43.12278度 東経143.63361度 / 43.12278; 143.63361座標: 北緯43度7分22秒 東経143度38分1秒 / 北緯43.12278度 東経143.63361度 / 43.12278; 143.63361
山系 白糠丘陵
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プロジェクト 山
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義経山(よしつねやま)は、北海道中川郡本別町にある標高294mの山である。

本別町と浦幌町の境界が通る白糠丘陵の支稜線から上浦幌パーキングエリア付近で本別町側に伸びる尾根上に聳える山で、本別町市街地の近くに位置する。周辺の諏訪山奥諏訪奥諏訪山神居山の4峰を合わせ義経の里本別公園として整備されている[1]

義経伝説

源義経が没したとされる1年前に蝦夷地へと旅立ったという「義経北方(北行)伝説」と呼ばれる伝説があり、実際に北海道各地に源義経に縁のある地名が存在し、本別町もその一つである。

源義経はニイカップ(新冠)のオテナ(村長)の案内でエリモの山を越え、十勝に入ってからはビロウ(広尾)のオテナの案内のもと、十勝川河口の大津を経てオルベコタン(池田)へ訪れる。そこでさらに奥にあるポンペツコタン(本別)に「カムイヌプリ(神の山)」があるという話を聞き、その山を訪れることにした。ポンペツコタンのオテナは宴を開き盛大に歓迎し、翌日にカムイヌプリに案内した。カムイヌプリには「独り登るな。メノコ(女)は登るな。山に登ると雨が降る」という言い伝えがあり、義経一行がカムイヌプリの山頂に立ち十勝平野を眺めているとたちまち天候は荒れ雨となり、義経一行は「伝説どおりの神の山なり」と称えた。その夜、一行は絶壁の洞窟で泊まり、源義経は岩山の姿をたたえ「これより山は義経山、洞窟は源氏洞と申すべし」と名付けた。ポンペツ川(本別川)の対岸にある断崖絶壁には大きな洞窟があり、翌日探検したところ予想を上回る大きさで会ったことから弁慶の提案で越冬することとしたが、ポンペツのオテナは源義経のために新しい茅葺の家を建て、そこに「ピリカメノコ(一人娘)」を召使いとして住むようにした。ピリカメノコは源義経によく仕え、いつしかお互いに愛し合うようになり、源義経が作ったアイヌ歌には「ピリカ メノコ トセナ モクロ ニサタ パシコロ チシコラチ(美しい女性といだき合い、翌朝カラスが鳴くまで眠る)」という歌があると現在は伝えられている。春になると、義経一行は畑の作り方や家の建て方をアイヌに教えたが、また旅立つことにした。義経一行は別れを惜しんで弁慶洞や屏風岩などの名前を付けて岩壁に絵や文字を彫り残したが、現在は既に摩耗して消えてしまっており、「古代文字岩」と呼ばれている。別れの朝にはピリカメノコはお供することを泣いて望んだが、源義経は笹竜胆の紋が入った家宝の担当を授けて、来た道を戻っていった。ピリカメノコは既に身ごもっていることを秘密にしていたが、翌春に男の子を生んだ。オテナは非常に喜んで「ヨシツネ」と名付け、成人するとオテナとなった。源義経の血を引いたオテナは人智や武勇に優れ、十勝や石狩にまで名を馳せ、衆望を集めるオテナとなったとされる。またヨシツネの援助に努めたハボ(母)も徳の高いメノコとして長く慕われた。それ以来アイヌは源義経を「サマイクル(文化神)」として伝説に残した。[1]

これらの伝説に因んだ地名が現在でも残されており、源氏洞などは登山道が整備され訪れることができる。

登山

最も南にある登山口である義経山登山口からは約1時間半、本別公園内のボート池付近の登山口からは約1時間、静山キャンプ場付近の登山口からは約1時間で山頂に登ることができる。しかし崖などの急斜面が多く随所に柵が設置されているものの滑落には注意が必要。

神居山

諏訪山

脚注

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