羽咋神社
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位置
北緯36度53分49.9秒 東経136度46分46.6秒 / 北緯36.897194度 東経136.779611度座標: 北緯36度53分49.9秒 東経136度46分46.6秒 / 北緯36.897194度 東経136.779611度
主祭神
石衝別命
| 羽咋神社 | |
|---|---|
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拝殿 | |
| 所在地 | 石川県羽咋市川原町エ164 |
| 位置 | 北緯36度53分49.9秒 東経136度46分46.6秒 / 北緯36.897194度 東経136.779611度座標: 北緯36度53分49.9秒 東経136度46分46.6秒 / 北緯36.897194度 東経136.779611度 |
| 主祭神 | 石衝別命 |
| 社格等 |
式内社(小) 旧県社 |
| 創建 | 不詳 |
| 本殿の様式 | 三間社流造銅板葺 |
| 例祭 | 9月25日 |
| 地図 | |
鳥居
歴史
創建は不詳。石衝別命は、当地に領民を苦しめる怪鳥が出現したことで垂仁天皇の勅により派遣され、これを討つとともに当地の農業を奨励したと伝える。のち当地を治めた羽咋君一族が、祖先の石衝別命を氏神として祀ったことに始まるという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では能登国羽咋郡に「羽咋神社」と記載され、式内社に列している。
南東約200mに所在する八幡神社が羽咋神社の元々の鎮座地(あるいは石衝別命の居館跡とも)であり、文明年間(1469年 - 1487年)に大塚古墳の墳丘上に社殿を造営し遷宮したとされる。当初は大塚上には松が立つのみで社殿は造営されず、宝暦年間(1751年 - 1764年)の落雷で松が焼失ののち、文化年間(1804年 - 1818年)に宝蔵を造営し本殿とした、とする説もある。
明治5年(1872年)、近代社格制度において郷社に列し、明治14年(1881年)には県社に昇格した。
明治42年(1909年)、七尾線建設の予定地にあった姫塚(羽咋七塚の1つ)上の三俵苅社から、祭神の道反大神を遷し合祀した。大正6年(1917年)、大塚が陵墓参考地となったため、社殿を現在の大塚の後円部南麓に遷した。
境内
摂末社
関係地
- 剣塚(北緯36度53分45.67秒 東経136度46分59.51秒 / 北緯36.8960194度 東経136.7831972度)
- 境外末社の八幡神社の旧鎮座地で、石衝別命の屋敷跡または羽咋神社の元宮と伝える。
