能登・佐渡地震
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能登半島の先端で被害が大きく、能登国珠洲郡・鳳至郡で死者5人[4]、家屋全壊・損壊791棟[2][5]。山崩れ1,731か所[5][3]。鳳至郡・珠洲郡の各村々の潰家数や山崩れなどは、加越能(加賀国・越中国・能登国)について記録した『眞偽一統誌』にまとめられている[7]。
輪島村では、総戸数593のうち、28軒潰れ、86軒半壊[5]。加賀国金沢では被害なし[5]。なお、揺れの様子については「重蔵宮奉加帳」(『新収日本地震史料補遺』所収[8])に記録があるほか、加賀藩が藩内の被害について幕府に届け出た記録が「護国公年譜」『加賀藩史料 六』にある[6]。
『輪島市史資料』所収の『大刀禰嘉作家文書』には、時国村(現輪島市)の収納蔵を地震のために移転する願い出が記されている[9]。
佐渡については『佐渡志』[10]に「地震屋頽れて死する者多し。」とあり[11][12]、佐渡国でも死者、家屋倒壊があった[2]。しかし、佐渡における詳細の記録は未発見[13]。