臧懋循は博覧強記で、万暦8年(1580年)に進士となり、荊州府の教授、南京国子監博士の官に任命された[1]。しかしながら遊び人であったことから弾劾されて万暦13年(1585年)に罷免された。その後は官につくことができず貧窮した。
銭謙益によると茅維・呉稼竳・呉夢暘と並んで当時の湖州一帯の優れた詩人だったという[4]。
正確な生卒年は明らかでないが、万暦47年(1619)にはまだ生きており、天啓元年(1621年)にはすでに没していたことがわかっている。また嘉靖41-42年(1562-1563年)を「余、少き時」と言っているので、1550年代の生まれと考えられる。