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臨機応変

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臨機応変(りんきおうへん)は、南北朝時代の中国からの行いの表現。

概要

環境や状況に応じて、柔軟に対応するということである。予期しない事態や急な変更に対して適切に対処できる能力である[1]。型通りの処置にとらわれないということや、その状態を意味する場合にもこの言葉が用いられる[2]。

歴史

この臨機応変というのは南北朝時代の中国を描いた歴史書である『南史』から来ている。そこでの梁の総司令官であった蕭明の言葉からとされる。そこでは蕭明は敵を追い込んでいたものの、次の行動を取ろうともしていなかった。これには蕭明の部下は心配していたのだが、これに対して蕭明は、吾は自ら的確に状況を把握して、その時その時の変化に応じて対応すると返した。これが現在にも用いられている臨機応変となったとされる[3]。

石田一良は臨機応変というのは日本人の思考や行動や理念であるが、それには長い前史があったとする。農耕社会では将来への生育からこのような理念が生まれたが、奈良時代からは中国の北方の文明が採用され、それは律令であり理想を典型や法則に仕立てて、時間と空間を越えて遵守・実現するという理念が生活の上に積み重ねられてきた。だが平安時代になればその理念を浸潤浸食して、その時に相応の理念へと変じ、理想の典型や法則はその時と所に応じて適宜に配置して、律令政治に対する格式政治を行い、南都仏教に対する天台宗の教えが開かれた。鎌倉時代に入れば法然、親鸞、道元、日蓮の教えでは辺土の劣機の典型とされているのは臨機応変で修正するしかないと主張される。この時期に地方農村から出てきた武士の間に、公家の律令政治を排し自らの生活態度を臨機応変で実現させようという態度が生まれる。こうして日本での臨機応変が実現される素地が整った。堀越善太郎は臨機応変を意識的に把握し尊重する態度の成立には、室町時代の仏教、禅、連歌、能楽などが契機とする。『碧巌録』では臨機応変が賞賛されているとする。兼載は連歌の学習法は何であるか定めるのが困難とする。これは臨機応変を説いているとする。連歌は臨機応変を芸術にまで昇華させたものとする。世阿弥は『風姿花伝』で、時折節を心得て、時の人の好みに応じるために多彩な芸を習得することが肝要であると説く。江戸時代では入我亭我入は『戯財録』で、臨機応変を弁えずに歌舞伎の脚本を書くならば敵に勝つことにはあたわないと戒めている。このような臨機応変の思想はやがて宗教や芸術の枠を超えて、広く一般社会の行動理念へと普遍化される[2]。

脚注

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