興津氏
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戦国期には興津郡のほかに遠江国浜野浦(静岡県掛川市)を領有して、駿河・遠江国の水運にも関与した。天文年間、主家である今川氏の動揺が興津氏にも及び、天文5年(1536年)10月には家督を継いだばかりの今川義元が興津氏の一族が清房に従うように命じる文書を出している。ところが、永禄2年(1559年)になって興津一族の興津修理進・興津大学助らが、清房の嫡男である彦九郎某を擁して清房の排除を企て、激怒した今川氏真(既に父・義元から家中のことを任されていた)によって彦九郎らは追放されている。だが、彦九郎が清房の唯一の後継者であったらしく、永禄4年(1561年)を最後に清房の活動を示す記録がなくなり、程なく同系の興津氏自体が断絶とされ、文書などは同族の美濃守・弥四郎系に与えられた。永禄11年(1568年)末、武田信玄が今川領国に侵攻した後、惣領の弥四郎は北条氏に保護された今川氏真に従った。しかし興津氏を統一した美濃守・弥四郎系だが、武田信玄の駿河侵攻によって追われ、興津は穴山信君の所領となる。天正10年(1582年)3月に武田氏が滅亡した後は徳川家に仕える。
