船仁のるか・喜和そるか
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1968年(昭和43年)に笹山タンバ(内海突破の実弟)・夢乃タンゴに弟子入り[1]、新世界新花月で初舞台、1977年にコンビ解消し2人とも廃業。
「流れものにゃ女はいらねえ」といったギャグを織り交ぜた正統派の漫才。賞を受賞するなど期待も大きかった。新世界新花月、神戸松竹座、トップホットシアターに出演し活躍。同時代に若手として競い合った漫才師に(明蝶芸術学院同窓の)浮世亭三吾・十吾(現在の三吾・美ユル)をはじめ、海原千里・万里、はな寛太・いま寛大、鳳らん太・ゆう太等がいた。
1972年第2回NHK上方漫才コンテスト優秀努力賞受賞。
1976年9月に神戸松竹座、翌年3月にトップホットシアターが相次ぎ閉館し活動場所がなくなりコンビを解消した。その後、のるかは地元神戸で司会業などを営んでいた。
メンバー
レコード
- 「妻と呼ばれて」※船仁のるか
参考文献
- 「現代上方演芸人名鑑」(少年社、1980年)