海原千里・万里
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経歴
幼少の頃よりラジオ番組やテレビ番組の素人コンクールに本名で出演。この頃父を入れてトリオで三味線を持って浄瑠璃を語ったりアコーディオンを持ったり、音曲漫才をやった事もある[1]。万里が秋田實に、師匠を紹介してもらうような手紙を送ったところ、「女の子やったら女の師匠がええ」といった返事であったことから[2]、千里の中学校卒業後の1971年に海原お浜・小浜に入門し、すでにデビュー予定であった万里が相方の失踪で[2]急遽姉妹漫才コンビとしてデビュー。一番最初に付けられたコンビ名は「海原なると・わかめ」だった[3]。
『スター漫才選手権』(毎日放送)にアシスタントとして出演。当時はまだ無名であったが、司会のロイ・ジェームスに「このコンビは絶対出世する」と言われた。1974年、フジテレビの時代劇『座頭市物語』第十八話「すっとび道中」に湯治場の仲居役で出演。千里による欧陽菲菲などの物真似が受ける。1976年には東映の大ヒット映画「トラック野郎シリーズ」の第3作『トラック野郎・望郷一番星』にドライブインの女主人役でゲスト出演、更に『銭形平次』にも姉妹でレギュラー出演。
1972年に上方お笑い大賞の銀賞を受賞。しかし上沼は当時について、主催の読売テレビの関係者から「お前らが売れてもないのに賞を取るから、(上方お笑い大賞の)権威が無くなってしもた」と言われ、「お笑い芸人は人間扱いされてなかった」と回顧している[4]。
1977年、千里が上沼真平(のちの関西テレビ取締役エグゼクティブプロデューサー)と結婚したため、コンビを解消し芸能界から引退した。しかし、千里は翌1978年に「上沼恵美子」名義で芸能界に復帰した。姉の芦川百々子は現在主婦だが、妹の上沼の番組にゲストで出演することが多く、歌番組にも出演することがある。
2015年11月24日、 NHK大阪ホールで行われた『NHK歌謡コンサート』「愛あふれるデュエット名曲集」にて「大阪ラプソディー」を芦川百々子・上沼恵美子の名義として音楽番組では15年ぶりに熱唱し、姉をリードする上沼恵美子の姿が見られた[5]。
上沼は金銭的な原因で姉と8年間ほど不仲だったと明かしている。上沼によると姉はタレントと結婚したが彼が活躍が出来なかったため収入が低く、長きに渡って金銭的な援助を行っていた。しかし、姉からお礼の言葉がなかったことから気分を害し、険悪な関係が続いたという。上沼は毎年開催していたコンサートにも不仲だった期間は、姉を招かなかった。なお、2人は現在関係を修復しており、コンサートでも共演している[6]。
評価
ディスコグラフィ
シングル
| # | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1973年 12月 | A面 | 幼なじみでおないどし | 島田陽子 | 泰久長 | 中川昌 | SN-1375 |
| B面 | いつもの散歩道 | かわうちまさこ | 松田晃 | ||||
| 2 | 1974年 10月 | A面 | 初恋日記 | たかたかし | 竜崎孝路 | SN-1421 | |
| B面 | 初恋ひぐれ町 | ||||||
| 3 | 1976年 2月25日 | A面 | 大阪ラプソディー | 山上路夫 | 猪俣公章 | 藤田はじめ | SV-1282 |
| B面 | 天満エレジー | ||||||
| 4 | 1976年 9月5日 | A面 | 黄昏のパラダイス | 田村一雄 | SV-6103 | ||
| B面 | 夢ごこち | 前田俊明 | |||||
| 5 | 1977年 2月25日 | A面 | 道頓堀行進曲 | 日比繁次郎 | 塩尻精八 | 竜崎孝路 | SV-6180 |
| B面 | 野菊の駅 | 山上路夫 | 猪俣公章 | 前田俊明 | |||
アルバム
- 大阪ラプソディー(1976年、ビクター音楽産業 / SJX-10130)
- 道頓堀行進曲(1977年、ビクター音楽産業 / SJX-10186)