花田 (豊橋市)
愛知県豊橋市の地名
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地理
豊橋市の中央部に位置する。花田町の町域は3か所に存在し、最も広い区域の西は新栄町・牟呂町、北は大橋通3丁目・絹田町・菰口町3~4丁目に接する[5]。
花田は花田一番町、花田二番町、花田三番町で構成され、西は花田町・築地町、南は白河町・立花町・西羽田町、北は羽田町・北側町に接する[5]。
河川
- 牟呂用水
小字
- 荒木(あらき)
- 石塚(いしづか)
- 稲場(いなば)
- 後田(うしろだ)
- 大山塚(おおやまづか)
- 於樹木(おじゅもく)
- 北新起(きたしんき)
- 絹田(きぬた)
- 越水(こしみず)
- 小松(こまつ)
- 西郷(さいごう)
- 塞神(さいじん)
- 斉藤(さいとう)
- 城海津(しろかいづ)
- 築地(つきじ)
- 中郷(なかごう)
- 中ノ坪(なかのつぼ)
- 西宿(にしじゅく)
- 野黒(のぐろ)
- 百北(ひゃくきた)
- 南新起(みなみしんき)
- 牟呂海道(むろかいどう)
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。なお、一部に特定地域隣接校選択制度の対象区域が存在する。
| 町丁 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校普通科 |
|---|---|---|---|---|
| 花田町 | 字荒木(一部)・中ノ坪(一部) | 豊橋市立吉田方小学校 | 豊橋市立吉田方中学校 | 三河学区 |
| 字荒木(一部)・稲場・越水・小松・斉藤・ 城海津・築地・中ノ坪(一部)・西宿・百北 | 豊橋市立花田小学校 | 豊橋市立羽田中学校 | ||
| 字後田・大山塚・北新起・西郷・塞神・ 中郷・野黒・南新起 | 豊橋市立羽根井小学校 | |||
| 字石田・中野 | 豊橋市立松山小学校 | 豊橋市立中部中学校 | ||
| 字石塚・絹田・中ノ坪(一部)・南島 | 豊橋市立松葉小学校 | 豊橋市立豊城中学校 | ||
| 花田一番町 | 全域 | 豊橋市立花田小学校 | 豊橋市立羽田中学校 | |
| 花田二番町 | 全域 | |||
| 花田三番町 | 全域 |
歴史

渥美郡花田村を前身とする。江戸期の花ケ崎村および羽田村に相当する。
東海道線の豊橋駅は1888年(明治21年)に開業したが、開業当時は花田村域であった。
1915年(大正4年)1月、竹田宮恒久王が騎兵第十九聯隊長として豊橋に着任した。これに伴い、当時の花田字寺東に竹田宮家が短期間ながら一家で住居した。
町名の由来
旧花ケ崎村の「花」と旧羽田村の「田」を取って命名された[8]。
沿革
- 1878年(明治11年) - 花ケ崎村と羽田村が合併し、花田村となる[9]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制に基づく渥美郡花田村が発足[9]。
- 1906年(明治39年)
- 1915年(大正4年)1月21日 - 竹田宮恒久王が騎兵第十九聯隊長として着任。花田字寺東の邸宅に入る[10]。
- 1926年(大正15年)2月5日 - 花田町に改称[9][11]。
- 1933年(昭和8年)10月1日 - 一部が前田南町となる[9][12]。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 一部が東小田原町・西小田原町・松坂町となる[9][13]。
- 1940年(昭和15年)12月1日 - 一部を東小田原町へ編入[13]。
- 1944年(昭和19年)7月1日 - 一部を西小田原町へ編入[13]。
- 1946年(昭和21年)7月25日 - 一部が花中町となる[9][14]。
- 1952年(昭和27年)8月2日 - 一部が中郷町・羽根井町となり、一部を花中町へ編入[9][14]。
- 1958年(昭和33年)9月12日 - 一部が大国町・広小路・大橋通・駅前大通・絹田町・東松山町・中松山町・西松山町・南松山町・南島町となる[9][15]。
- 1959年(昭和34年)7月31日 - 一部が西羽田町・羽田町・花田一番町~三番町・築地町・白河町・野黒町・八通町・立花町・羽根井本町・錦町・北側町となる[9][4]。
- 1972年(昭和47年)7月11日 - 一部が羽根井西町となる[9][16]。