1966年、TBSのドラマ『月曜日の男』でプロデューサー、脚本、監督を務めていた飯島敏宏の誘いで『ウルトラマン』の脚本を執筆[3][4][5]。これをきっかけに円谷プロ作品の常連脚本家として活躍。同社の作品については、テレビシリーズ18番組・長編テレビ映画3作・新撮劇場映画2作(他に再編集物が2作)という、群を抜いて最多参加の脚本家であった。テレビドラマデビュー作でもあり、1958年から関西ローカル局で長期間放送された刑事ドラマの『部長刑事』[4][5]では多くの脚本家の中で、最も長きに渡って執筆を担当した一人でもあり、原作を担当したこともある。