若水美登里
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1882年(明治15年)2月17日、横浜羽衣町で北澤清右衛門の三男として生まれる[1]。
1910年(明治43年)、吉沢商店が製作したサイレント映画に女形として出演している。1912年(大正元年)には、山崎長之輔らとともに、福宝堂が製作した吉野二郎監督作『通夜物語』等に出演している。同年、吉沢商店、福宝堂が他の2社と合併して日活を設立、翌1913年(大正2年)10月にオープンした日活向島撮影所でも、山崎長之輔とのコンビで『新野崎村』や『寒牡丹』等に出演した。当時は、監督等のクレジットすらされておらず、出演作も定かではない[2]。
谷崎潤一郎の随筆『ふるさと』によると、日本橋区中洲の真砂座で伊井蓉峰・山崎長之輔・大谷馬十らと共に小山内薫演出の近松劇などに出演して、シスターボーイ 的な美しさの若衆姿を見たとの記述がある[3]。
最晩年(昭和初年頃か)には何らかの理由で半身不随になり、旅回りの天幕芝居にまで身を落としていたらしい[4]。