茂倉沢鉱山

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日本の旗 日本
座標北緯36度26分23秒 東経139度22分59秒 / 北緯36.43972度 東経139.38306度 / 36.43972; 139.38306座標: 北緯36度26分23秒 東経139度22分59秒 / 北緯36.43972度 東経139.38306度 / 36.43972; 139.38306
茂倉沢鉱山
当地で採取された長島石
所在地
茂倉沢鉱山の位置(群馬県内)
茂倉沢鉱山
茂倉沢鉱山
所在地栃木県足利郡菱村字茂倉
(現 群馬県桐生市菱町
日本の旗 日本
座標北緯36度26分23秒 東経139度22分59秒 / 北緯36.43972度 東経139.38306度 / 36.43972; 139.38306座標: 北緯36度26分23秒 東経139度22分59秒 / 北緯36.43972度 東経139.38306度 / 36.43972; 139.38306
生産
産出物菱マンガン鉱
所有者
企業鉄興社
→(個人名義)
→愛宕鉱業
プロジェクト:地球科学Portal:地球科学

茂倉沢鉱山(もぐらざわこうざん)は、かつて群馬県桐生市で操業していたマンガン鉱山である。

桐生駅から北東に約4kmほどの、群馬県桐生市菱町桐生川左岸支流の茂倉沢に位置し[1]、浅部集落[注釈 1]からは2kmほど沢を上る[3]。標高約440mのところに舟ヶ沢坑と南入坑の坑道があり[4]、南入本坑1坑・2坑、むじな鉱床、舟ヶ沢鉱床の3つの鉱床がある[3]。南入本坑付近の岩石は主にチャート粘板岩からなり、採取される鉱石は少量のばら輝石を伴う縞状の炭マン(菱マンガン鉱)であった。むじな鉱床では二酸化マンガンを含む炭マン。舟ヶ沢鉱床では珪質炭マンが採れたが、鉱体の大きさの割に品位は良くなかった[3]

足尾山地には足尾帯に属するジュラ紀付加体が広く分布する。黒保根-桐生コンプレックス、大間々コンプレックス、葛生コンプレックス、行道山コンプレックスで構成され[5]、茂倉沢鉱山はそのうち構造的に最下層の[6]黒保根-桐生コンプレックスに位置する[1]劈開の発達した泥岩とチャートを主体として、珪質粘土岩・炭酸塩岩類・珪質泥岩・泥質混在岩を伴う。泥岩の放散虫の年代から、本コンプレックスの付加年代は中期ジュラ紀の後期以降と考えられる[7]

歴史

鉄興社(現 東北東ソー化学)により開発され、1951年に大和鉱山の鉱区を合併。1957年まで個人名義で経営されたのち、愛宕鉱業に移った[4]。1962年の文献では休山中とある[3]。詳細な採掘時期や産出量などについては資料が残っておらず、明らかではない。

「茂倉」の語源は「真倉」から転じたと推測され、垂直な岩壁を指す。桐生川の端に垂直の岩壁が続いていることに由来すると考えられる[2]。桐生川東側のこの地は、1958年までは栃木県足利郡菱村に属していたが、桐生市との経済的な結びつきが強いことから、1959年(昭和34年)1月1日に、越県合併により群馬県桐生市に編入されている。

新鉱物

脚注

参考文献

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