茂知附按司は望月という倭寇出自の者ではないかとの説があるが、これらをもとにした茂知附=倭寇説は根拠薄弱である。
琉球史研究家の上里隆史によると「もちづき」という名前は琉球王国の高級(王妃、王女、夫人など)神女(ノロ)「三十三君」にいた神女の名前に使われた名称で、この「もちづき」は勝連にゆかりのある神女で、勝連の海岸に降臨して人々を祝福していた様子が『おもろさうし』からうかがえる。つまりこの「茂知附按司」は、渡来した日本人の名前に由来するのではなく、もともとあった琉球在来の美称に由来する可能性が高いといる[1]。
「あかる もちつきや きみの もちつきや」で始まるオモロ (巻十六の六)にはもちつきやのところに「原註 かつれんのあまわり おなちやらを申なり」(おなちやら=オナヂャラ(ウナジャラ)= 女按司・妃の意)とある[2]。このような美称を冠して按司を呼ぶ例はほかにもあり、阿麻和利の妻であった王女の百度踏揚は記録では「踏揚按司」と出ており、彼女の名前は個人名ではなく、「三十三君」にいる神女名である[3]。