三山時代
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沖縄本島では14世紀に入ると、各地で城(グスク)を構えていた按司を束ねる強力な王が現れ、14世紀には三つの国にまとまった。南部の南山(山南)、中部の中山、北部の北山(山北)である。三山統が鼎立する時代が約100年続いた。いずれも朝鮮と中国に朝貢し交流を深めたが、中山の尚巴志王が勢力を増し、1405年に中山を、1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼして、初めて琉球を統一した。
中国の『明実録』、『明史』といった史料にあるように、正式な国名は中山、山南、山北であったが、後に『中山世譜』などで中山の表記に合わせて南山、北山と書かれるようになったことから、山南(南山)、山北(北山)と双方の名称が混在するようになった。どちらを使用しても間違いにはならない。
また、琉球では各島の名を八重山、宮古山、久米山(『球陽』各巻記述他)などと表記する場合があり、三山それぞれの「山」も沖縄本島を指すと考察されている。「○○島」を「○○山」と称するのは、中国の慣習の一つでもあり、この時代に中国側(明朝)から呼ばれた「琉球(琉球国)」も本来は沖縄本島のみを指していた。
