茂菅
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地区の中央部に頼朝山(638m)、北部に葛山(812m)がそびえ、西部から南部にかけて裾花川が蛇行している。南よりを国道406号が東西に走り、中央部で長野県道76号長野戸隠線が分かれ北に向かう。
| 大字鑪 | ||||
| 大字小鍋 | 大字西長野(往生地) 新諏訪二丁目 新諏訪一丁目 | |||
| 大字平柴 | 大字西長野(新諏訪町) |
中山間地の集落であるが、善光寺の西方2kmほどのところに位置し、長野市の前身である旧長野町への合併も1889年(明治22年)の町村制施行時とかなり早期である。
芋井・戸隠方面に向かう県道76号、鬼無里方面に向かう国道406号、小田切・七二会方面に向かう県道401号が分かれる、長野市西部山間部への入口にあたる地区である。集落は地区南部の旧国道406号と県道76号との交点付近の本郷、その南側の裾花川沿いに位置する外茂菅と、地区北部の頼朝山中腹にある静松寺の周辺の横棚がある。
外茂菅には1936年(昭和11年)〜1944年(昭和19年)にかけて走っていた善光寺白馬電鉄の茂菅駅があり、現在でもホーム跡が残る。この善光寺白馬電鉄の隧道内には、松代大本営計画の中で武器庫などに活用され、善光寺温泉に皇族住居が移される予定だった[1][2]。
地区西部の裾花川沿いの谷である仁棚では古くから草生水(原油)を産し、日本初の石油会社である長野石油会社は1873年(明治6年)から掘削を試みたが、石油井の開発は進まず、1881年(明治14年)に会社は倒産した[3]。