伝説では、漢代に仙人の三茅真君(中国語版)(茅盈・茅固・茅衷の三兄弟)が住んだことから、茅山と呼ばれるようになった[7]。
六朝時代、道士の楊羲(中国語版)らが上清経(中国語版)を作った後、陶弘景が『真誥』を編纂し[2]、茅山派の拠点となった。唐宋を最盛期とし、明清まで多くの道観が建てられた[2]。南宋の周必大(中国語版)の紀行文『泛舟遊山録』や[3]、元の『茅山志』などに茅山の地誌が記されている[8][9]。
近代に戦火[2]や文革[10]で荒廃したが、1985年に「茅山道教協会」が成立し、正一派道院として復興された[2]。2011年、儀式のとき演奏される独特の道教音楽(中国語版)が中国非物質文化遺産(中国語版)に指定された[11]。