茨木保
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作風
1962年、6人兄弟の末っ子として生まれる。実家は東大阪市で町工場を経営していた。兄は通信工学者の茨木久。小学校4年の時に読んだ手塚治虫の『火の鳥』に衝撃を受け、医師免許を持つ漫画家である手塚への憧れから、医師と漫画家を志す[1]。
1980年大阪府立高津高等学校卒業。同年奈良県立医科大学入学。医大生1年生の時、手塚が大学祭の講演に来た際、面談の機会を得る。茨木が「医師と漫画家両方を目指している」ことを告げると、手塚は「ボクみたいな落伍者にならず、医者になってください」と諭したが、漫画については、真剣に話を聞いたという[2]。その翌年、投稿作が『週刊少年ジャンプ』の「手塚賞」の最終選考に選出されるが、受賞は逃している[3]。
1986年奈良県立医科大学卒業。同年同大学産婦人科医局入局。1989年 京都大学ウイルス研究所で発がん遺伝子の分子生物学的研究に携わる傍ら、持ち込んだ原稿『遠い手紙』が『週刊ヤングジャンプ』月例新人賞佳作を受賞。『ヤングジャンプ増刊号』に掲載され、プロデビュー[4]。デビュー作が掲載されたのは奇しくもヤングジャンプの手塚治虫追悼号だった[5]。
その後、「青年漫画大賞」など計8度にわたり集英社の新人賞に入賞。1991年奈良県立医科大学大学院博士課程修了。勤務医を続けながら、医学や看護学の専門書を中心に、漫画家・イラストレーターとして活躍。大和成和病院婦人科部長を経て、2006年、いばらきレディースクリニックを開設する[6]。
2000年より『週刊ヤングサンデー』にて『Dr.コトー診療所』の医学監修を担当し、構成や作画資料など幅広い制作協力を務める[7]。同作はフジテレビでドラマ化され、大ヒット作となる。本作の人気の原因について、茨木は「医療不信が強い今だからこそ、注目が集まっているのかもしれません」と語っている[8]。以後、多くの漫画の医学監修を担当。『コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命』など、テレビドラマの監修、制作協力なども数多く手掛ける。『コード・ブルー』に登場する医師、橘啓輔の人物設定は、茨木の臨床経験をベースにしたものだと、プロデューサーが語っている[9]。
2006年より『週刊日本医事新報』にて医師の悲哀をユーモラスに描いた『がんばれ!猫山先生』の連載を開始。同作は医療関係者の支持を集め16年間の長期連載となった。2022年、理化学研究所・編集工学研究所共同プロジェクト 「科学道100冊」[10]に『まんが医学の歴史』が選出されている。
等身大の医師の日常を描く軟らかな作品が主体だが、医学史や偉人を主人公とした硬質な作品も多い。 専門書のイラストでは「漫画を通して難しいものをわかりやすく」がモットー[11]。自身が描く漫画調のメディカルイラストレーションを「メディカルカートゥーン[12](メディカルカトゥーン[13])」と呼んでいる。猫好きで子供の頃から猫を飼っており、作品にはたびたび擬人化した猫が登場する[14]。万博好きで、自身が作成する「世界の科学の流れを面白く見せる漫画」を「一人万博」と表現している[15]。父親の田舎が寺であり、自分の漫画にも仏教の影響を感じると語っている[16]。