荒木町 (新宿区)
東京都新宿区の町名
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地理
歴史
荒木町一帯は、江戸時代には美濃国高須藩藩主・松平義行の屋敷があったところであった。荒木町北辺に接している津の守坂通りも、義行(摂津守)の名が由来となっている。義行没後も高須藩上屋敷として存続し、幕末には松平義建の子息である「高須四兄弟(次男・徳川慶勝、五男・徳川茂栄、七男・松平容保、八男・松平定敬)」がこの屋敷で誕生した。
高須藩上屋敷には滝を伴った大きな池があった。この池で徳川家康(義行という説もある)が乗馬用の策(ムチ)を洗ったことから「策の池」と呼ばれた。
明治5年(1872年)11月2日に「四谷荒木町」が起立。町名は東端を走る荒木坂(新木坂、津の守坂の別称)と荒木横町にちなむ。維新後に高須藩主松平家の屋敷が退き、池や庭園が一般にも知られるようになる。一帯は東京近郊でも名の知られた景勝地となり、料理屋が軒を連ね芸者らが行き交う花街が形成された。明治44年(1911年)、「四谷荒木町」から「荒木町」に改称された。
花街荒木町の最盛期は関東大震災後。他の花街が被災した影響で客が荒木町に流れ、料理屋13軒、待合63軒、置屋86軒、芸妓252名を抱えた[5]。だが戦時中は花街の営業が縮小され、昭和20年(1945年)の東京大空襲で壊滅的被害を被る。戦後に復興するも昭和40年代(1966年-1975年)に衰退、昭和50年代末(1980年代前半)に花街としての荒木町は終焉した[6]。
町域内には今でも車力門通りや杉大門通りの通り沿いや路地裏などに各種飲食店が散見され、かつての花街の風情を残した部分を見ることができる。また「策の池」も規模はかなり縮小したが、現在でも津の守弁財天に残っている。昭和30年代の雰囲気を色濃く残した町として訪れる人は多い。
世帯数と人口
学区
事業所
交通
鉄道
バス
区域東側の津の守坂通り上に「三栄町」バス停があり、都営バス宿75系統(新宿駅〜抜弁天・東京女子医大〜三宅坂)が運行されているが、宿75は大半が新宿駅〜東京女子医大間の運行であり三栄町まで来るのは1日6便と少ない。区域西側の外苑東通りには都営バスの「荒木町」バス停があり、早81系統(早大正門方面、渋谷駅方面)が運行されている。
道路
- 東京都道319号環状三号線ーーー(外苑東通り)
- 北部の東京都道302号新宿両国線(靖国通り)と南部の国道20号(新宿通り)は、街区が直接接して居ないが至近に敷設されている。
施設
- 荒木公園
- 津の守弁財天
- 金丸稲荷

