萊州 From Wikipedia, the free encyclopedia 萊州(らいしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から明初にかけて、現在の山東省煙台市一帯に設置された。 魏晋南北朝時代 470年(皇興4年)、北魏により設置された光州を前身とする。光州は東萊郡・長広郡・東牟郡の3郡14県を管轄した[1]。 隋代 隋初には光州は2郡6県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、光州の属郡は廃止された。585年(開皇5年)、光州は萊州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、萊州は東萊郡と改称され、下部に9県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。 さらに見る 隋代の行政区画変遷, 区分 ... 隋代の行政区画変遷 区分開皇元年区分大業3年 州萊州郡東萊郡 郡東萊郡長広郡県掖県 昌陽県 膠水県牟平県 文登県 盧郷県即墨県 観陽県 県掖県 昌陽県長広県黄県 牟平県文登県 閉じる 唐代 621年(武徳4年)、唐により東萊郡は萊州と改められた。742年(天宝元年)、萊州は東萊郡と改称された。758年(乾元元年)、東萊郡は萊州の称にもどされた。萊州は河南道に属し、掖・昌陽・膠水・即墨の4県を管轄した[3]。 宋代 北宋のとき、萊州は京東東路に属し、掖・萊陽・膠水・即墨の4県を管轄した[4]。 金のとき、萊州は山東東路に属し、掖・萊陽・膠水・即墨・招遠の5県と衡村鎮を管轄した[5]。 元代 元のとき、萊州は般陽路に属し、掖・萊陽・膠水・招遠の4県を管轄した[6]。 明代以降 1368年(洪武元年)、明により萊州は萊州府に昇格した。1373年(洪武6年)、萊州府は萊州に降格した。1376年(洪武9年)、萊州は萊州府に昇格した。萊州府は山東省に属し、直属の掖県と平度州に属する濰・昌邑の2県と膠州に属する高密・即墨の2県、合わせて2州5県を管轄した[7]。 清のとき、萊州府は山東省に属し、掖・濰・昌邑・高密・即墨・平度州・膠州の2州5県を管轄した[8]。 1913年、中華民国により萊州府は廃止された。 脚注 [1]『魏書』地形志二中 [2]『隋書』地理志中 [3]『旧唐書』地理志一 [4]『宋史』地理志一 [5]『金史』地理志中 [6]『元史』地理志一 [7]『明史』地理志二 [8]『清史稿』地理志八 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks