葛蛇玉
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蛇玉の人となりは片山北海による墓碑銘[1]によって知られる。木村宗訓の子孫が代々住職を務める浄土真宗の寺・玉泉寺の四代目・宗琳の次男として生まれる。後に長嶋喜右衛門なる者の婿養子となった。長嶋氏の祖は谷八(やつ)氏で、長嶋家の宗家は小早川隆景の子孫であることから、小早川谷八と称した。葛の姓は、この谷八の音「KOZU YATSU」を、葛「KATSU」としたと推測される[独自研究?]。画をはじめ橘守国、および鶴亭に学ぶ。後に宋元の古画を模して一家を成した。
明和3年(1766年)2月22日の晩、蛇が玉を咥えて来る夢を見て、目覚めるとそこに玉があった。これが何の吉祥か分からなかったが、この事件から自ら「蛇玉」と称するようになったという。この逸話を裏付けるように、「蛇玉図」の賛文に木版でこの逸話が記されており、同様の作品が他にもあることから、蛇玉は同図を名刺がわりに相当数描いて配り、自らを売り込もうとしたとも考えられる。
人柄は風流閑雅で、有閑公子の風があった。晩年には南木綿町に住み、当時の人名録にも名前が記載されている。「秋水鯉魚図」とともに紹介された「蘿園雅集図」により、混沌社の詩人たちとの交遊があったことが確かめられた。享年46。墓所は、下寺町大蓮寺だが、墓石は残っていない。息子の蛇含(じゃがん)も絵師となったというが、その作品は全く知られていない。蛇玉の方も現在確認されている作品は極めて少なく、10点しかない。