董作賓
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| 人物情報 | |
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| 生誕 |
1895年3月20日(光緒21年) |
| 死没 |
1963年11月23日(68歳没) |
| 出身校 | 北京大学 |
| 学問 | |
| 研究分野 | 歴史学・甲骨学 |
| 研究機関 | 中央研究院歴史語言研究所 |
| 董作賓 | |
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| 職業: | 甲骨学者 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 董作賓 |
| 簡体字: | 董作宾 |
| 拼音: | Dōng Zuòbìn |
| ラテン字: | Tung Tso-pin |
| 和名表記: | とう さくひん |
| 発音転記: | ドン・ズオビン |
董 作賓(とう さくひん)は、中華民国の甲骨学者。甲骨文字の研究の開拓者であり、羅振玉(号・雪堂)・王国維(号・観堂)・郭沫若(字・鼎堂)とともに「甲骨四堂」(甲骨学四堂とも)と称される。字は「彦堂」、号は「平廬」[1]。
研究業績
甲骨文字の時代区分
甲骨文字は殷墟に都を遷した紀元前14世紀頃より以後、殷が滅びた紀元前11世紀にいたる300年近い間のものと推定されており、董作賓はこの間の甲骨文字を5期に区分した。各期の字様にそれぞれ様式的な特徴がある。
- 第1期(武丁時代)…雄偉(ゆうい、大きく雄健である)
- 第2期(祖庚・祖甲時代)…謹飭(きんちょく、正しく生真面目である)
- 第3期(廩辛・康丁時代)…頽靡(たいび、崩れて弱い)
- 第4期(武乙・文丁時代)…勁峭(けいしょう、強く鋭い)
- 第5期(帝乙・帝辛時代)…厳整(げんせい、引き締まって整っている)
第1期の「馬」・「鹿」などの獣類の文字は形がまちまちで、まだ絵画的な性質が残っている。しかし第5期(殷代末期)になると絵画的要素が薄くなり、一定の字画の文字に固定している。董作賓は第1期・第4期の中に朱または墨で書かれた例を検出している。このことから筆の使用はすでに殷代に始まっていたと考えられている。少し時代は下がるが戦国時代の墓から筆の実物が発見されている。刻線の中にわずかに筆意らしきものが感じ取れるのは、表面に筆で書いた後に刻したためであろう。甲骨文字はすでに見る人の目に訴えるように美的に書かれ、装飾的な働きを果たし、早くも書道芸術の原形が成立していたと考えられる[4][7][8][9][10][11]。