董守中の曽祖父董俊、祖父董文忠、父董士珍は代々武人としてモンゴル帝国に仕えてきた、漢人の名家であった。董守中は当初太学に入って学び、ある時クビライに召し出されると応対が詳敏であったため、クビライの命を受けて仕えるようになったという[1][2]。
22歳の時より内廷に仕えるようになり、尚服院を経て懐慶路判官・河南行省理問・典瑞丞・僉典瑞院事・集賢侍読学士・浙東廉訪使・湖南湖広参知政事・漢中湖南湖北廉訪使・正奉大夫を歴任した。1333年(至順4年)6月、61歳にして自宅で亡くなった[4]。
董守中は父母に孝を尽くし、宗族・郷党にも礼を尽くす、徳のある人物であったと伝えられる[5]。