薩都剌
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生涯
元の戸籍制度においてイスラム指導者が属した答失蛮(タシマン、ペルシア語で学識者を意味する dānishmand の音訳)の出自だが、祖父の代からモンゴルに軍人として仕えて西方から中国に移り住み、父の阿魯赤(アルチ)はクビライに仕えて山西道雁門(現在の山西省忻州市代県)の守備隊長となった。雁門で生まれ育った薩都剌は幼い頃から漢文化に親しみ、泰定帝イェスン・テムル治世の1327年に実施された科挙に及第し、進士となった。しかし、もともと貴族の家ではないため元の官界ではさほど出世せず、地方官の属官を歴任しただけに終わる。一説には、御史として御史台にあったとき、権臣の党派を弾劾して疎まれ、左遷されたのだという。元末の混乱が激しくなると官界を退き、江南の杭州に隠棲して余生を送った。
