蓮池家綱 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代後期生誕 不詳死没 不詳別名 家縄、家光、次郎、蓮池権守[1] 凡例蓮池 家綱時代 平安時代後期生誕 不詳死没 不詳別名 家縄、家光、次郎、蓮池権守[1]主君 平重盛氏族 藤原北家秀郷流テンプレートを表示 蓮池 家綱(はすいけ いえつな)は、平安時代後期の武士。土佐国高岡郡蓮池の土豪[2]。 平清盛の嫡男・重盛の家人だった。寿永元年(1182年)9月、平治の乱後に土佐に配流されていた源希義が、既に関東で反平氏政権の兵を挙げていた実兄・源頼朝に呼応するとの風聞があったため、平家より希義討伐の指示を受けた。希義は源氏与党の夜須行宗との合流を図っていたが、家綱は平田俊遠とともにこれを襲って年越山(現・南国市)の辺りで討ち取った。家綱らは続いて夜須行宗も討たんとしたが、行宗は舟で紀伊国へと脱出しまった[3]。同年11月、希義の戦死を知った鎌倉の源頼朝は家綱らを討つため、夜須行宗を案内として源有綱を土佐へと派遣しており[4]、遅くとも建久元年(1190年)までには夜須氏によって討たれたらしい[5]。神戸市長田区蓮池はその戦死の地とも伝わっている[6]。 一説に戦国時代に蓮池城主となった大平氏は家綱の末裔だという[7][注 1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 大平氏には同じ秀郷流の近藤氏を祖とする説もある[8]。 出典 ↑ 太田 1963b, p. 4696. ↑ 山本 1983, § 蓮池村. ↑ 『吾妻鏡』 2008, p. 65. ↑ 『吾妻鏡』 2008, p. 66. ↑ 『吾妻鏡』 2008, pp. 331–332. ↑ 今井 1999, § 池田村. ↑ 太田 1963a, p. 1295. ↑ 太田 1963a, p. 1296. 参考文献 山本大 編『高知県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1983年。ISBN 9784582910483。 今井林太郎 編『兵庫県の地名』 1巻《摂津・丹波・但馬・淡路編》、平凡社〈日本歴史地名大系〉、1999年。ISBN 9784582910193。 太田亮『姓氏家系大辞典』 1巻、角川書店、1963a。ISBN 9784040302102。 太田亮『姓氏家系大辞典』 3巻、角川書店、1963b。ISBN 9784046227256。 早川純三郎 編『吾妻鏡〈吉川本〉』 1巻、吉川弘文館、2008年。ISBN 9784642041966。 Related Articles