蔡愔

後漢の使節 From Wikipedia, the free encyclopedia

蔡 愔(さい いん、生没年不詳)は、中国後漢初期の使節明帝に仕え、郎中となり、西域に旅して中国に仏教を伝えた[1]

略歴

永平10年(67年)、明帝の命を受けて秦景らと共に西域へと赴き、大月氏国から竺法蘭迦葉摩騰を伴って雒陽に帰還した。同年のうちに、明帝は白馬寺を建立して竺法蘭らを住まわせ、竺法蘭らはここで『四十二章経』などを著し、中国に仏教が弘通する端緒を開くに至った。

また蔡愔は西域に旅した際に釈迦の倚像、すなわち優塡王のために作られた釈迦像(優填王思慕像)の一つを得た。明帝は画工に命じてこれを写させ、顕節陵中国語版などに安置したとされるが、南朝梁のとき既に失われており、現存しない[2]

脚注

参考文献

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