竺法蘭

古代インドの仏教僧・宣教師 From Wikipedia, the free encyclopedia

竺 法蘭(じく ほうらん、繁体字: 竺 法蘭、生没年不詳)は、古代インド(中天竺)の仏教僧・仏教宣教師。梵語ではダルマラクシャ(धर्मरत्न)[2]牟子理惑論』および『四十二章経序』を嚆矢として5世紀頃に付加・定着するに至った、永平8年(65年)の明帝の感夢求法説話において、迦葉摩騰と共に中国に初めて仏教を弘通させたと伝わる人物である[2][3]

概要 竺法蘭, 生地 ...
竺法蘭
生没年不詳
竺法蘭墓の石碑
竺法蘭墓の石碑
生地 中天竺国
没地 後漢 司隸河南尹雒陽県[1]
寺院 白馬寺河南省洛陽市
著作 四十二章経 ほか
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略歴

中天竺の僧。経論の数万章を暗誦するなど仏法に明るく、インド学者の師と仰がれた[2][4]

永平10年(67年)、後漢明帝の使者蔡愔に招かれて、インド北方の大月氏から迦葉摩騰と共に雒陽に入り、明帝の建立した白馬寺に住した[3][5]。やがて漢語をよく解するようになり、現存する最初の漢訳仏典とされる『四十二章経』および『十地断結』『仏本生』『法海蔵』『仏本行』の5部を訳経したが、『四十二章経』を除く4部は遷都や戦乱を経る内に散佚した[6]

また昔、前漢武帝が昆明池の底を掘ったところ黒い灰を得たので、これを東方朔に問うと、東方朔は「西域の胡人に問うべきである」と述べたといい、後漢の時代になって西域を出自とする竺法蘭が来朝したとき、人々はこのことを思い出して竺法蘭にその真相を問うた。竺法蘭は「世界が最終的に滅び尽きるとき、劫火が遍く焼き尽くす。その灰がこれである」と答えた。東方朔の言葉には徴があったとして、信じる者は非常に多かったという[7]

具体的な時期は不明ながら、60余歳で雒陽において病のため入寂した[2]

脚注

参考文献

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