蔣肇聡
蔣介石の父
From Wikipedia, the free encyclopedia
生涯
浙江省寧波府奉化県渓口鎮で塩屋「玉泰塩舗」を営む蔣斯千の次男として生まれ、一家は裕福であった。太平天国の乱の後、父の事業を引き継いだ。
蔣肇聡は計算高く抜け目のない人物であり、人々から「埠頭の黄鱔」と呼ばれていた[1]。彼は事業を拡大するため塩以外にも米、酒、野菜、雑貨などを取り扱うようになり、事業は絶頂期を迎えた[2][3]。彼は玉泰塩舗の敷地を拡大させて工房を設けて会計士や労働者を雇い、資本は2,000-3,000銀元を下らなかった。また、地域の他の商店とも協力関係を築き、陸上輸送の不便を克服するため船を借り、寧波の港から渓口鎮まで商品を運んだ[2]。
1894年、父の蔣斯千が死去し、翌1895年には後を追うように蔣肇聡も死去した[4]。蔣肇聡は溪口鎮北部の桃坑山に葬られた。
家族
蔣肇聡は3度正妻を迎え、2度の死別を経験している。
- 最初の妻 - 徐氏(1846年4月14日 - 1882年3月27日)
- 長女 - 蔣瑞春(1874年 - 1947年10月31日):1889年、渓口鎮任宋村の宋式倉へ嫁ぐ。
- 長男 - 蔣鍚侯(譜名周康、字介卿、1875年1月3日 - 1936年12月27日)
- 2人目の妻 - 孫氏(1855年7月14日 - 1886年1月12日)
- 3人目の妻 - 王采玉(1864年2月7日 - 1921年6月14日)
- 次男 - 蔣中正(譜名周泰、字介石、1887年10月31日 - 1975年4月5日)
- 次女 - 蔣瑞蓮(1890年4月9日 - 1937年):蕭王廟鎮後竺村の竺芝珊へ嫁ぐ。
- 三女 - 蔣瑞菊(1892年)
- 三男 - 蔣瑞青(譜名周伝、1894年11月23日 - 1897年4月24日)