藤ヶ谷カントリークラブ

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所在地 日本の旗 日本
千葉県柏市泉2348番地
開業 1961年昭和36年)11月25日
運営 メンバーシップコース
設計 富澤 誠造
藤ヶ谷カントリークラブ
Fujigaya Country Club
藤ヶ谷カントリークラブ
藤ヶ谷カントリークラブの空中写真。
2019年10月9日撮影。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
千葉県柏市泉2348番地
座標: 北緯35度49分45.11秒 東経140度1分41.94秒 / 北緯35.8291972度 東経140.0283167度 / 35.8291972; 140.0283167
概要
開業 1961年昭和36年)11月25日
運営 メンバーシップコース
設計 富澤 誠造
運営者 株式会社藤ケ谷カントリー倶楽部
トーナメント ・1931年 第6回 日本プロゴルフ選手権大会
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 5503 1 5518
2 3200 2 4426
3 5510 3 5533
4 4432 4 3192
5 4431 5 4397
6 3161 6 3189
7 4423 7 4319
8 4360 8 4450
9 4420 9 4420
363440 363444

その他
公式サイト 藤ヶ谷カントリークラブ
テンプレートを表示

藤ヶ谷カントリークラブ(ふじがやカントリークラブ)は、千葉県柏市泉に広がるゴルフ場である。京成グループの企業である株式会社藤ケ谷カントリー倶楽部により運営されている。

藤ヶ谷カントリークラブは、「旧武蔵野カンツリー倶楽部・藤ヶ谷コース(1929年昭和4年)開場、設計・赤星四郎)を復活しよう」との活動が始まりである[1]戦後、復活に動いたのが旧武蔵野カントリー倶楽部の朝日新聞社・藤田耕一であり、応援したのが沼南村の島村洪一郎と京成電鉄グループ川﨑千春だった[1]。しかし、跡地は米軍に移り、さらに自衛隊に移り、防衛庁長官赤城宗徳に訴えたが実現しなかった[1]

新たな建設用地を求めて、跡地周辺で探したが、「戸塚カントリー倶楽部」の計画と競合していたが、後に、戸塚カントリー倶楽部は神奈川県横浜市に移った[1]。コース設計は、東葛飾郡沼南村出身の富澤誠造に依頼した、富澤は旧武蔵野カントリー倶楽部・藤ヶ谷コースでは造成監督を行っていた[1]。また、富澤は、旧武蔵野カントリー倶楽部の平山孝に誘われて、「川崎国際生田緑地ゴルフ場」の開設に関わり、そこで井上誠一からコース設計を学んだ[1]

1961年(昭和36年)、東京証券市場大暴落が起き、また、京成電鉄株式会社では「大利根カントリークラブ」計画が同時進行中であった[1]。新たなゴルフ場の建設に向けて「京成ゴルフ株式会社」が設立され、「京成藤ヶ谷パブリックゴルフ場」が着工され、1961年(昭和36年)11月25日、18ホールが完成した[1]

1964年(昭和39年)、「株式会社藤ケ谷カントリー倶楽部」を設立、1965年(昭和40年)2月、京成パブリーツクを譲り受け、会員制ゴルフ場に移行、個人株主会員制での運営となり、メンバーシップ「藤ヶ谷カントリークラブ」がスタートした[1]

日本のプロゴルフメジャー大会の1つ、日本プロゴルフ協会主催競技でもあり、日本選手権大会に相当する、日本プロゴルフ選手権大会などの大会開催の実績がある。

所在地

〒270-1456 千葉県柏市泉2348番地

コース情報

  • 開場日 - 1961年11月25日
  • 設計者 - 富澤 誠造
  • 面積 - 730,000m2(約22.0万坪)
  • コースタイプ - 林間コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,835ヤード、コースレート73.0
  • グリーン - 2グリーン、ベント・コーライ
  • プレースタイル - キャディ付、乗用カート
  • 練習場 - 17打席 230ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[2][3]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

メジャー選手権

エピソード

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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