藤原周頼

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時代 平安時代中期
生誕 不詳
 
藤原 周頼
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 寛仁3年9月4日1019年10月4日
官位 従四位下木工頭
主君 一条天皇三条天皇
氏族 藤原北家中関白家
父母 父:藤原道隆、母:伊予守奉孝の娘
兄弟 道頼頼親伊周定子隆家原子隆円、頼子、御匣殿周家周頼藤原妍子女房、好親平重義
源兼澄の娘
慶増、頼義
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藤原 周頼(ふじわら の ちかより)は、平安時代中期の貴族藤原北家摂政関白内大臣藤原道隆の子。官位従四位下木工頭

侍従を経て、長徳元年(995年右近衛少将に任ぜられる。この間出仕状況を問題視されて殿上籍を削られるが[1]、同年12月に再び殿上を許されている。翌長徳2年(996年)に発生した長徳の変を通じて中関白家が没落する中で右近衛少将を辞す。長徳4年(998年春日祭使に任ぜられるが、直前になって辞退している[2]

三条朝中務大輔木工頭を歴任する。この間、寛弘8年(1011年花山天皇の皇子であった清仁親王昭登親王の加冠に際して理髪を務める[3]。また、長和4年(1015年)には所定の出仕日数(毎月昼間15日、夕5日)に足らず、再び殿上籍を削られている[4]

長和5年(1016年後一条天皇即位すると、春宮・敦良親王(のち後朱雀天皇)の春宮亮に任ぜられるが、3ヶ月ほどで木工頭に還任されている。

寛仁3年(1019年)9月4日卒去。最終官位は木工頭従四位下。

官歴

系譜

脚注

出典

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