正暦4年(993年)6月28日以前に出家し[4]、延暦寺大僧都実因の弟子となる。正暦5年(994年)11月5日、15歳で権少僧都に任ず(少年で僧綱に任じた初例)[5]。寛弘4年(1007年)、権大僧都に至る。長和4年(1015年)2月4日、36歳で没した。
一条天皇の側近僧の一人として、その出家に際して剃髪を、斂葬に際して納棺を奉仕し、葬送にも付き従った。
『枕草子』に「僧都の君」として登場している。額突くまでにねだって藤原行成の書を清少納言から貰ったことや、妹原子所持の父遺愛の笛を自分の琴と取り替えようと持ちかけ、姉定子に洒落で軽くたしなめられたことなどの憎めない逸話がある。