藤原基教

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生誕 建久7年(1196年[1]
別名 大殿若君[3]、近衛三位中将[4]、二条中将[5]
 
藤原 基教
時代 鎌倉時代
生誕 建久7年(1196年[1]
死没 建保1年6月28日1213年7月17日[2]
別名 大殿若君[3]、近衛三位中将[4]、二条中将[5]
主君 土御門天皇順徳天皇
氏族 近衛家
父母 父:近衛基通
母:法眼最舜の娘
兄弟 家実、円忠、道経兼基円浄静忠基教、円基、仁澄、実信、尊任
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藤原 基教(ふじわら の もとのり)は、鎌倉時代公卿。摂政・関白・内大臣の近衛基通の四男。大納言鷹司兼基の同母弟。官位は従二位右近衛中将

基教は近衛基通の四男として誕生。11歳で元服し正五位下に叙せられる[6]。禁色宣旨を蒙った後、侍従・中将を経て従二位に昇叙。従二位叙位の翌年6月、基教が薨去された。このところずっと病に苦しみ、体力が衰えてから十日ほどで急逝されたという。父・基通の悲嘆は比喩できるものがないほどであったと記されている。[7]

官歴

系譜

脚注

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