藤原季平 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代中期生誕 延喜22年(922年)死没 永観元年6月11日(983年7月23日)官位 従三位、治部卿 凡例藤原季平時代 平安時代中期生誕 延喜22年(922年)死没 永観元年6月11日(983年7月23日)官位 従三位、治部卿主君 円融天皇氏族 藤原北家長良流父母 父:藤原尚範母:海氏の娘(丹後国人)または丹後守忠良(姓不詳)の娘妻 不詳子 貴清、長清テンプレートを表示 藤原 季平(ふじわら の すえひら)は、日本の平安時代中期の公卿。右大弁・藤原遠経の孫。修理亮・藤原尚範の四男。 村上朝初頭に蔵人左衛門尉を務める。のち、信濃守・紀伊守・尾張守・播磨守など地方官を歴任した。 円融朝の貞元2年(977年)造宮の功労により従三位に叙せられて公卿に列す。のち散官を経て、天元5年(982年)治部卿に任ぜるが、翌永観元年(983年)6月11日薨去。享年62。 官歴 注記のないものは『公卿補任』による。 天暦元年(947年) 12月14日:蔵人[1] 天暦4年(950年) 5月24日:見蔵人左衛門尉[2] 時期不詳:信濃守。紀伊守。尾張守[3] 貞元2年(977年) 8月2日:従三位(造宮賞)、見播磨守 天元5年(982年) 10月18日:治部卿 永観元年(983年) 6月11日:薨去 系譜 注記のないものは『尊卑分脈』による。 父:藤原尚範 母:海氏(丹後国人)の娘[4]または丹後守忠良(姓不詳)の娘 生母不詳の子女 男子:藤原貴清 男子:藤原長清 脚注 ↑ 『貞信公記』 ↑ 『九暦』 ↑ 『尊卑分脈』 ↑ 『公卿補任』 参考文献 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年 Related Articles