藤原実清

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 平安時代後期
生誕 保延5年(1139年
 
藤原 実清
時代 平安時代後期
生誕 保延5年(1139年
死没 元暦2年1月8日1185年2月16日[1]
官位 正三位大宰大弐
主君 近衛天皇後白河天皇二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇
氏族 藤原北家
父母 父:藤原長輔、母:藤原清隆の娘[2]
兄弟 長重実清季隆高実長明、恵任、長恵、卯恵、卯性、円長、円輔、源通資[3]
高階愷子高階清章の娘)[4]
長経清季長清、源通資室[3]
テンプレートを表示

藤原 実清(ふじわら の さねきよ)は、平安時代後期の公卿

仁平元年(1151年叙爵され、仁平3年(1153年)に越前守に任じられて以来、各国守左兵衛権佐を歴任する。また応保元年(1161年)からは八条院別当を務めた。安元3年(1177年内蔵頭を経て同治承元年には従三位に上り公卿に列する[2]。治承5年(1181年大宰大弐となり[5]寿永2年(1182年正三位となったものの、同年の源義仲による院近臣らの大量解官の際に実清もその対象となった[6]。寿永3年(1184年)元の職に復帰したものの、病を得て辞官出家し、翌元暦2年(1185年)死去した[1]。妻の愷子(丹波局)は実清と同じく八条院に仕えた後、後鳥羽天皇乳母を務めている[4]

官歴

※出典の明示がないものはいずれも『公卿補任治承元年条による[2]

系譜

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI