藤原有能
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文治4年(1188年)従五位下に叙爵。建久元年(1190年)従五位上に叙せられ、建久2年(1191年)右兵衛佐に任ぜられる。
建久6年(1195年)正五位下に叙せられ、建久9年(1198年)従四位下、正治2年(1200年)従四位上、正治3年(1201年)正四位下と急速に昇進。建仁4年(1204年)右京大夫に任ぜられ、建永2年(1207年)越前権守を兼ねる。承元4年(1210年)義弟・三条公房の譲りで従三位に叙せられて公卿に列した。建暦元年(1211年)には石清水臨時祭に奉仕している[1]。
しかし、その後の昇進は滞り、建保4年12月(1217年1月)正三位に叙せられた後は建長4年(1252年)に出家するまで叙位・任官は無かった上、承久2年(1220年)には行幸に参じないことを理由に非参議・藤原忠行、同藤原家衡と共に恐懼に処されている。