藤原為長 From Wikipedia, the free encyclopedia 藤原 為長(ふじわら の ためなが、天慶6年(943年)頃? - 寛和2年(986年))は、平安時代中期の貴族。藤原北家良門流、刑部大輔・藤原雅正の子。官位は従五位上・陸奥守[1]。 内蔵頭を経て、天元3年(980年)ごろ陸奥守に任ぜられる。永観2年(984年)慈恵大僧正(良源)が比叡山の西塔に宝幢院を建立しようとして資金不足に悩んでいたところ、為長が国分寺に入った賊を捕えて得た30両を寄付したという逸話がある[2]。寛和2年(986年)陸奥守在任中に没したとされる。 勅撰歌人として『後拾遺和歌集』に和歌作品1首が採録されている[3]。 官歴 時期不詳:内蔵頭[4] 天元3年(980年) 11月3日:見陸奥守[5] 寛和2年(986年) 日付不詳:卒去、見陸奥守[6] 系譜 『尊卑分脈』による。 父:藤原雅正 母:藤原定方の娘 妻:藤原忠幹の娘 男子:藤原通経 生母不詳の子女 男子:藤原公経 男子:藤原信経 男子:藤原頼経 脚注 ↑ 『尊卑分脈』 ↑ 『日本高僧伝要文抄』第二「慈恵大僧正伝」 ↑ 『勅撰作者部類』 ↑ 『小大君集』西本願寺本 ↑ 『小記目録』 ↑ 『為頼集』 参考文献 藤田孝範『紫式部』東京堂出版、1980年、111p 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。表示編集 Related Articles