藤原雅正 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代中期生誕 未詳死没 応和元年(961年)官位 従五位下、周防守 凡例藤原雅正時代 平安時代中期生誕 未詳死没 応和元年(961年)官位 従五位下、周防守主君 村上天皇氏族 藤原北家良門流父母 父:藤原兼輔、母:未詳兄弟 雅正、清正、守正、庶正、公正、桑子妻 藤原定方の娘子 為頼、為長、為時、平維将室テンプレートを表示藤原 雅正(ふじわら の まさただ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家良門流、中納言・藤原兼輔の長男。官位は従五位下・周防守。 刑部大輔や豊前守・周防守などの受領を歴任したが、位階は従五位下に留まった。村上朝の応和元年(961年)周防守在任中に頓死したとされる。 父・兼輔とともに紀貫之との親交で知られている他、伊勢・大輔とも交流があった。『後撰和歌集』に和歌作品が7首採録されている他[1]、藤原基俊撰集の『新撰朗詠集』にも採録されている。 官歴 時期不詳:刑部大輔。豊前守[2] 応和元年(961年)10月16日:故人、見周防守[3] 系譜 父:藤原兼輔 母:未詳 正室:藤原伊尹家女房 - 藤原定方の娘 長男:藤原為頼(939?-998) 男子:藤原為長(943?-986) 三男:藤原為時(949?-1029?)[注釈 1] 生母不明の子女 女子:平維将室[注釈 2] 女子:藤原理兼室 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 紫式部は孫に当たる(藤原為時の娘)。 ↑ 維将は平将門を討伐した平貞盛の次男で、後に平清盛を輩出する伊勢平氏の祖となる平維衡の兄である。 出典 ↑ 『勅撰作者部類』 ↑ 『尊卑分脈』 ↑ 『江家次第』 参考文献 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年 宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles