類いまれなる美貌で、目尻が少し下がりめの、非常に長い黒髪だったという。『大鏡』には、誇張もあるだろうが、そんな彼女の様子が、「御車に奉りたまひければ、わが身は乗りたまひけれど、御髪のすそは母屋の柱のもとにぞおはしける(お車にお乗りになれば、ご本人は(車に)乗ってらっしゃるのだが、髪の毛のすそはまだ母屋の柱にある)」と記されている。村上天皇の寵愛も厚かった。そのことに関して、中宮の藤原安子が非常に嫉妬し、土器の破片を芳子に向かって投げつけたという記事も『大鏡』に記されている。
また、非常に聡明でもあり、『古今和歌集』二十巻すべて暗記していたという。村上天皇はこの噂を聞き、本当に暗記しているのか、物忌みの日に試験した。ところが、芳子はすべて間違えることなく暗記していた、という記事が『大鏡』藤原師尹の章、および『枕草子』二十段(皇后藤原定子が語る話題として)に記されている。宣耀殿女御瞿麦合を天暦10年(956年)5月に主催。『玉葉和歌集』と『続古今和歌集』に彼女の歌が一首ずつある。