藤原顕綱
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治暦年間(1065年-1069年)に和泉守を務めると、丹波守・但馬守・讃岐守と後三条朝から白河朝にかけて地方官を歴任する。その後、出家して讃岐入道と号した。康和5年(1103年)6月27日卒去。享年75。最終官位は前讃岐守正四位下。ただし、翌長治元年(1104年)の藤原俊忠の歌合にその名が見えることから、この没年については疑問もあり、嘉承2年(1107年)頃没という説もある。
歌人として知られ、承暦2年(1078年)の内裏歌合などに出詠。家集として『讃岐入道集』(『顕綱朝臣集』)があり、『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に25首が入選している。また古典にも造詣が深く、『万葉集』の書写などを通じてその伝承に貢献した。