藤島昭
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東京府出身[4]。都立高等学校を卒業[5]。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願[4]。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業[4]。第七二一海軍航空隊に配属[4]。同年6月、海軍主計少尉に任官[4]。九州海軍航空隊富岡基地勤務で終戦を迎え、その後、解員(復員)した[4]。
1948年(昭和23年)東京大学法学部法律学科を卒業[5]。1950年(昭和25年)検事任官[6]。造船疑獄では捜査から公判までを通して担当した[7]。東京高検次席検事、東京地検検事正等を経て、1981年(昭和56年)法務事務次官。1983年(昭和58年)10月のロッキード事件での田中角栄元首相の一審有罪判決で秦野章法務大臣の控訴問題発言で、秦野法相とマスコミの間にいて、細かな気を配った[6]。
1985年(昭和60年)に最高裁判所判事に就任[2]。最高裁判事としては戦後初の大学卒1号である[7]。就任あいさつでは「健全な社会理念がどこにあるかを念頭に置き、社会の声なき声にも耳を傾け、国民の権利、社会正義が実現されるように公正、迅速な裁判に努めたい」と話す[3]。
1994年(平成6年)に退官[2]。
退官後は弁護士登録し、生命保険契約者保護機構理事長等を務める。
2010年(平成22年)11月21日、肺炎により死去[8]。86歳没。没後、正八位から正三位に進階[9]。
趣味は短歌の創作[3]。