古瀬戸様式の編年について、井上喜久男の考える編年[2]論と藤澤良祐の考える編年論があったが、現在は、藤澤の編年の枠組みが普及して用いられるようになっている[3]。
井上の編年は、11世紀末葉から12世紀後葉の猿投窯の瀬戸地区と東山地区の山茶碗、山皿、片口鉢などの無釉陶器生産と瓦の生産をおこなっていた時期をI期とし、12世紀末から13世紀末をII期、13世紀末から14世紀末をIII期、14世紀末から15世紀までをIV期とし、15世紀末から大窯期がはじまるとする。それぞれ前半と後半でa期、b期に細分している。一方、藤澤の考える編年は、灰釉四耳壷の出現に象徴される瀬戸の施釉陶器窯としての成立を12世紀末において前期様式の開始とし、13世紀末からはじまる鉄釉の出現を中期様式、14世紀後半から15世紀末までを後期様式とし、それぞれを4期に細分している。