藤田定市
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広島県賀茂郡中黒瀬村字大多田(現・東広島市黒瀬町)の農家に生まれる[6]。藤田次助の三男[3][7][8]。1910年12月、21歳の頃、兄の一郎とともに広島市台屋町[注 1]で土木建築請負業を始める[10][11]。
土木建築請負業を営む[8]。1916年、「藤田組」を名乗り、兄の一郎が組長に、定市が副組長になる[10]。1944年、藤田組社長に就任[10]。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、定市は自宅で家屋の下敷きとなり、重傷を負う[6][10]。1962年、藤田組会長に就任[11]。
また広島商工会議所会頭、ラジオ中国(現・中国放送)、広島観光協会各会長[11]、東洋パルプ監査役などをつとめる[2][4]。